ジェネラティヴアートについて

自らの肩書を「ジェネラティヴアーティスト」としているが、この「ジェネラティヴアート」というものがまだ一般的ではないようなので、それについて語ってみようと思う。
また、ジェネラティヴアートというものが如何にNFTと相性がいいのか、ということについても僕の考えを書いておこうと思う。

ジェネラティヴアートとは

ジェネラティヴアートという言葉は最近はわりと聞かれるようになったが、実はそんなに新しい概念ではなく、それまであったものに名前をつけた、あるいはそれまであった名前をリニューアルした、というように僕には思える。
“ジェネラティヴ(generative)”という英語は、「生成的な」という意味で、つまり「ジェネラティヴアート」は「生成的アート」とでも呼ぶべきものなのだろう。
一般的によく見られる説明としては、「コンピューターを使って、アルゴリズムで作品を生成する不確定性を伴ったアート」とある。

「コンピュータを使った」アート
コンピュータを使ったアートというものは現代では珍しいものではなくなっている。
それを「アート」と呼ぶのかどうかはわからないが、イラレ&フォトショ、あるいは3Dモデリング&レンダリングソフトなどを使って描かれた作品で溢れている。最近ではさらに3Dプリンタを使って出力した立体作品も可能となっている。
これらが「コンピュータを使った」アートということ。

「アルゴリズムで作品を生成する」アート
イラレ、フォトショ、3Dソフトでは、作者は絵筆や彫刻刀などを握ることはなかったとしても、結局は手を動かして、作品を制作することになる。たとえそこで出来上がる作品がデジタルデータであったとしても、結局は作者の肉体が作品に大きく関わることになっている。
作者の作業を排除することによって作品を創ることについて考えてみる。たとえば計算式だけで絵を描いたり、音楽であればシーケンサーによる自動演奏など。

「不確定性を伴った」アート
アルゴリズムで作品を生成する、という段階までは、作者の意図が作品に100%反映されるのだが、そこにさらに不確定性が加わったものが「ジェネラティヴアート」である。
作者があるアルゴリズムをつくり、そこに不確定な要素を与えると作品が成立する、というもの。
と、言ってもなかなか伝わらないので、僕がいつも説明する例え話を。

複数の風鈴があって、そのひとつひとつはある音階の音で鳴ることがわかっている。
ジェネラティヴアートの作者は、その中から、材質(ガラス製/金属製)、音階などを選ぶ。
例えばドレミファソラシドのうち、レとラを抜くと沖縄音階になる。(試しにピアノか何かでレとラを弾かないようにして適当に弾いてみてほしい。アラ!不思議!沖縄っぽいメロディーになった!)
そして選んだ風鈴を並べる。このとき、作者の意図で、ある風鈴は風がよく当たるところに置いたり、あるいは逆にあまり風に当たりにくいところに置いたり、と微調整をする。

そして風を待つ。

そこに風が吹いたとき、ジェネラティヴアーティストが選んだ複数の風鈴があるメロディーを奏でることになる。
ここで重要なことは、ここで奏でられるメロディーを作者は予期できなかったということだ。
だが、音階や音色、また風の当たり具合などを作者が調整している、ということで作者の意図が全く反映されていないもの、というわけでもない。

このときの風鈴の選定、風鈴を置く位置の決定がアルゴリズムにあたり、そこに吹く風が「不確定な要素」にあたる。

一般によく言われるジェネラティヴアートの定義に「コンピュータを使った」とあるが、僕はコンピュータを使うかどうかは重要ではない、と思っている。
例えばマルセル・デュシャンとジョン・ケージが行った有名なチェスの対戦では、チェスの盤面に音響装置が仕掛けられ、mそこに置かれた駒によって音楽が生成される、というものは、コンピュータをつかってはいないが、アルゴリズムがありながらも予測不可能な音楽、ということができるだろう。
あるいは先程の風鈴の例についても、「ジェネラティヴアート」と呼ぶにふさわしいものであると思う。

ジェネラティヴアートとNFTの関係

「アルゴリズムによって生成される予測不可能なアート」というのはNFTと相性が良い。
特に海外のNFTシーンを席巻しているコレクティブなもの(CryptoPunksやBAYCなど)は、一見手書きのイラストのように見えるが、NFTとして出されている作品数を見ると、数千から数万点にもおよび、さらにはすべてが一点一点違うものである。
これは、作品を創る際に、一つ一つ異なる値(乱数)を与えて、それによって予め決められたパラメータ(男女、人種、髪型、服装など)が決まり、その組み合わせで無限のパターンを作れるからだと考えられる。
つまり、自動的に生成することが可能なのだ。
更にある特定の要素ができる確率を非常に低く設定しておくことで、意図的に「レアもの」を演出することも可能だ。
(よく知らないが例えば目の色が「赤」になるのは1万分の1の確率、としておくことで「赤目」のキャラクターにプレミアがつく、など)
CryptoPunksやBAYCなどを「アート」と呼ぶのかどうかは別として、少なくともこれらは「ジェネラティヴである」ということはできる。
あるいはさらにNFTの特徴を活かしたものとして、予め生成したものをNFTにする、というのではなく、NFTに作品そのものではなく、生成アルゴリズムを入れておいて、mint(トークンの発行)時に初めて作品を生成する、というものも出てきている。これは、作者もそれを買う人も、どんな作品になるのかを予測することができない、というゲーム性のある作品である。(こちらについてはそのうち詳しく書きます)

絵筆と絵の具で描いた作品をデジタイズしてNFTにし、それを売るということは当然できる。
あるいはペンタブを使って最初からデジタル作品を創る場合は、そこでできたものはそのままでデジタルデータなので、NFTとして売ることは容易だろう。
ジェネラティヴアートの場合は、それを自動生成的に、さらに不確定性を伴って無数に創ることができる。

テシュナカムラの場合

僕の場合は、作品を無数に創る、ということを目的にしているわけではない。
僕のPCは24時間作品を作り続けている。一枚の作品を描くのに約10分かかるので、一日に約140枚の絵が描かれるのだが、それらをすべてNFTにしているわけではない。
僕がジェネラティヴアート作品を創る理由は、「作家性の排除」を標榜しているからだ。
「ジェネラティヴ”アーティスト”」と名乗っておきながら、作家性を排除すること、という矛盾。
つまり僕はアーティストなのではなく、反アーティストなのかもしれない。
とにかく僕は、僕が創る作品から作家性を極力排除することをずっと考えている。

だからといって、作家の意図がまったく入っていないものは作品ではなく「自然」だ、という自己矛盾についてはまだ解決できていない。
砂丘の表面を流れる風が描く風紋は美しい。だが、その風紋には誰の意思も反映されていない。自然だ。

僕は、僕が意図した音色を奏でる風鈴を、僕が意図した音階で並べて風が吹くのを待っていたいと思っている。
それは作家性を排除しきれていない、というべきことなのだろうか?
まだ解答はない。

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